漢方治療の基本

気血水について‐気‐

気血水について

「気」とは

漢方医学は気血水の三要素から生体を観察し、診断治療を行います。
漢方医学を生んだ古代中国の基本的な考えに「気」という概念があります。
電気・蒸気という言葉があるように、「気」とは我々の目で見ることはできないけれども、物を動かしたり破壊したりすることができるエネルギーとも言えるでしょう。
また、勇気がある、覇気がない、気力がない、気落ちする、気持ち良い、元気である、気分が悪くなる、などと言うように人間の精神状態や肉体的状態に「気」という目に見えないエネルギーが大きく作用していることを示しています。
古代の人々は病気を文字どおり気が病んでいると考えたのだと思います。
これはいわゆる「病は気から」という単純なことではなく、人間の体内にある、目に見えないけれども身体を動かし肉体の生理的平衡状態を保ち、精神状態をも整えている気が病的状態にあることを意味していると思います。
つまり、病気の治療とは気を整えること(気の流れを良くする・気の偏りを整える・気を補う・気を増すことなど)により元の健康状態にもどすことを意味します。
そして、病因の内部要因、身体のどこに病気につけ込められるすき、生体の防衛機能の崩れ(気の異常)があるのかを考え、気を整えることで生体の防衛機能を高め病気を治すことを考えたのでしょう。
現代医学の華々しい発展は細菌性感染症のような外因性疾患を制圧したことが大きく関与していますが、残された課題はむしろ生体の目に見えぬ病態生理を捕らえるソフトな医学で解決できることが多いと思われます。
さて、漢方医学は古代中国の基本的認識法である陰陽論(相対的認識論・一元的二元論)を基本としているので、目に見えないエネルギー、「気」を更に「気(実体のないもの」)と「血(より実体のあるもの)」に分けて考え、後世になると気血の「血」から狭義の「血」を分立させ、「血」と「水(血液以外の体液)」に分けて取り扱われるようになり、「気」、「血」、「水」という3要素のバランスの破れた病態に対して、最も著明にあらわれている変調を対象として対策を講ずる治療法も確立されるようになりました。
また、古代中国では気血の流れるルートとして経絡という、現代医学の解剖学で知られている血管系や神経系などとは異なる特殊な機能的な連絡系統が生体に備わっていることを見出しています。
経絡の要所は皮膚面において経穴と呼ばれ、針灸の治療点となっていますが、通常365箇所と言われています。経絡には12の正経と2つの奇経(督脈・任脈)が代表的ですが、正経は五臓六腑の機能と深い関わりを持っています。
経穴に鍼・灸などの刺激を与えることにより、気血を整え病気を治したり、健康の増進を図る医学を針灸医学と呼んでいますが、漢方医学は薬物で経絡に流れる気血を整え、五臓六腑を整えて病気を治す医学と言えます。
病気の治療をすることを「手当てする」と言います。
痛い箇所(経穴)に手を当てることにより身体が楽になることを古人は鋭い感覚で知り、より有効な治療点を探すうちに経絡を見出したのでしょう。
50年程前、経穴を解剖学で証明できたとするボンハン学説が発表されましたが、その後否定されました。
現代医学の見地から考えますと経絡・経穴は電気抵抗・磁場などより伺うことのできる生理的な生体の制御機構と言えるのではないかと思います。
「気」とはこの世界にある全ての物に宿り満ち溢れているものでもあります。
人間がより健康に過ごし、長生きしたいと願うのは何時の世も変わりありません。積極的に外界から良い気を取り入れたり、自分の体内にある気を練ることでこの目的を達成したいとするのを導引・気功と呼んでいます。
これら東洋に伝わる固有の気血を整え、病気の治療及び健康の増進を図る医学を東洋医学と呼んでいます。

東洋医学 薬物療法 漢方医学
物理療法 鍼・灸・按摩・導引・気功
漢方所要量について

漢方医学は気の医学です。
腎気丸と言うように、漢薬は経絡や臓器の気を動かすことで身体症状を改善するばかりでなく精神状態も同時に好転させます。
漢薬は少量でも充分な効果が得られることを良く経験します。
例えば、今日のように「一億総鬱の時代」では、軽い鬱の方に気分の落ち込みを払い元気をつける補中益気湯をよく投与しますが、エキス顆粒3gを1日量として充分な効果を得ることができます。
しかし、産後などで身体の力が著しく衰えた方は違います。エキス顆粒では薬力が弱く煎じ薬として投与します。また、精神錯乱に近い方に桃核承気湯エキス顆粒7.5gを一度に服用させ効果があったことがありますが、私は0.5gをなめただけで気を鎮めたことがあります。
当診療所には私がある漢薬処方の名前を口にした途端に楽になった、「それを今必要としている」と教えてくれる患者さんが来ています。
特に漢薬は目に見えない世界に通じているように思えます。
漢薬所要量は現代医学の薬とは異なりケースバイケース、極めて幅の広いものであると実感しています。
 
 

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